ワイルドローズ



常緑樹林の中、白い壁、赤い屋根。

四面を大きく窓が張り巡り、青い空の色が反射する。

晴れた日は鮮やかなトリコロールカラーが緑の茂みから浮き上がる、パブリックスクール高等部体育館。

中央縦向きにバスケットコートが二面。

バスケットコート左右片側サイド壁面に、シュート練習用バスケット(リングとバックボード)がそれぞれ二基ずつ。

バスケットコートを挟んで、横向きにバレーボールコートが一面とストレッチジムスペース。

コートサイドはどれもゆったりとしたスペースを確保しているので、試合形式にも充分対応出来る造りとなっている。

天上は吹き抜けのドーム型で、二階は四面を廊下とそれに続くひな壇の観客席、その後ろを耐熱強化ガラスの窓が囲む。

四季を通して高い位置からの陽射しは柔らかく、自動開閉の窓からは自然の風が通り抜け、草木の香とともに館内の換気を促す。



キュッ!キュッ!・・・タン、タン、タン・・・・

「あっ・・!」

ダダダッ・・・・・・キュッ!キュッ!・・・タンッ!

「うぉっ・・くそっ!」

「すっげぇ!一気に二人抜きだぁ!」

「そのままランニングシュートだ!!」

タンタンタン――――タンッ!  ザッ!!

「ナイス!シュート!北沢!!」



放課後、医務室に薬を取りに行く合間に、和泉たちの練習が見たくなって体育館に顔を覗かせた。

和泉たちは三日後に控えた三年生との試合に向けて、ますます練習に力が入っているようだった。

僕に気付いた和泉が嬉しそうに手を振って、鮮やかにシュートを決めた友人を誇らしげに紹介した。


「聡!今の見た?Cクラスから助っ人の北沢 直紀(きたざわ なおき)だよ。
中等部でずっと同じクラスだったんだ。あいつ運動神経バツグンなんだ」

和泉の言葉を受けて、コート内でプレー中の北沢が僕の方に駆け寄って来た。

「・・・村上さん!?こんちは!俺、村上さんのことは先輩から聞いてます!」

とても人当たりのよさそうな、爽やかな笑顔だった。

「先輩って?」

「あっ・・白瀬さんです。俺、白瀬さんから卒業する前に聞いてたんです」


―北沢君、新年度から村上聡が復学するんだけど、君と同じ学年だから宜しくしてやってね―


白瀬さんらしい世話の焼き方・・・卒業してもなお暖かく人の心に残る。

そんなふうに係わり合えたなら、どんなに素晴らしいだろう。

「白瀬さんらしいよね。こちらこそ宜しく。だけど、君も白瀬さんを知っているなんて、嬉しいな」

「何だよ、誰のことだよ。・・・白瀬って、今年の卒業生代表の白瀬さん?」

和泉がコートの中で自分だけ仲間外れのような、少し拗ねた顔を見せて言った。

「そうそう、その白瀬さんだよ。俺と村上さんの共通の友達さ。なっ!」

額に浮かんだ汗が、ブルーのバンダナで吸収される。

北沢の誰とでもすぐ友達になれそうな雰囲気は、とても好感が持てた。

「・・・わかったから、早くコートに戻れ、北沢!」

和泉が北沢に呼びかける。

「へへっ、やきもち。あいつ子供みたいなところがあるから」

そう言いながら、北沢は和泉の性格をとても理解しているようだった。

少し拗ねたような和泉の顔・・・。

そう言えばどこかで似たような感じを受けた記憶がしたけれど、それがどこだったのか思い出すに至らなかった。

「それじゃ、村上さん!悪りぃけど、試合には勝つから」

踵を返して北沢がコートに戻り、試合形式の練習が再開された。


タンタンタンッ! 軽快なドリブルの音

キュッ!キュッ! バッシュ(バスケットシューズ)が鳴る

ダン!・・ザッ! ジャンプからシュート

フェイク(フェイント)で抜き リバウンドボールを取り合う


「いいぞ、本条!ナイス・カットイン(攻め側が相手プレーヤーの内側に入り込む)!」

「今のチャージング(ファウル・反則のひとつ)だぞ!気をつけろ!」

「タップシュート(リバウンドボールを指先で弾く=タップ)だ!北沢は細かい技もOKだな!」

コートサイドにまで、彼らの汗と声が届く。

見ているだけでエネルギーが湧く。生きる活力を与えてくれる。

いつか僕も、またあのコートを走り回れる日が来るような気がして。



和泉たちの練習が何回目かのインターバル(休憩)に入ったところで、体育館を出た。

あまり遅くなると、医務室は閉まらないけれど川上先生が帰ってしまう。

体育館を出て野バラの中を抜ける。

野外の小規模なバラ園といった感じで、合い中に小道がありその両側に濃い赤やピンクの早咲きのバラが一角をなして咲いていた。

バラはトゲが危ないので、病気になってから以降ここを通るのは初めてだった。

バラが本格的に咲くのはこれからだから、蕾もたくさん目についた。

濃い赤やピンクに混じって、淡いパステルカラーの黄色い蕾。

マスクをしているのでバラの芳香はわからないけれど、視覚で楽しみながら医務室のあるセンターへと向かった。




「・・・っ痛ってぇな!あーもうっ、ムカつくぜ!!」

「だから手袋しろって言ったろ、三浦」

三浦・・・?谷口の声?

小道の両側に咲いている野バラの中に、三浦と谷口がいた。

「三浦?谷口?・・・何してるの!また・・・」

「聡・・・、またってどういう意味だ?」

三浦がいかにも心外そうに、抑えた声で詰め寄って来た。

手にはハサミを握っていたが、手の甲はバラの引っ掻き傷でいっぱいだった。

「落ち着けって、三浦。また・・・変なところで会ったなって意味だよな、聡」

谷口が野バラをかき分け出て来た。谷口はカゴを持っていた。

「あぁ、何だ・・・バラを摘んでいるんだね、先生から頼まれて?」

「頼まれた覚えはないけどな・・・」

三浦はいまいましそうな顔で、相槌を求めるように谷口を見た。


渡瀬・三浦・谷口の謹慎が解かれて、あれから約一月(ひとつき)。

学年が違うので会うこともなかったが、渡瀬からは数日してメールが来た。


―新しいクラスでは委員長は空席のままで、みんなが君を待ってくれていると担任から告げられた。
不覚にも涙が出た。・・・聡、委員会で会おう―


「聡、ちょっとこれ見ろよ」

谷口は持っていたカゴを脇に置き、野バラの方を指差した。

指差す方を見ると、バラの花の茎の部分が折れていた。

外側の皮の部分が引っ付いているので、バラの花は地面に落ちるのではなく、カクンと頭が垂れているような感じだった。

中には地面に落ちているものもあり、花びらも散り落ちていた。

「折れてるね・・・。それも一本や二本じゃなく、けっこうたくさん・・・。誰かの悪戯(いたずら)?」

「自然にはならないから、まぁそうだろ。で、俺たちが折れたバラの花を回収してるってわけさ」

「あいつから呼び出されて・・・。聡こそどうしたんだよ、センターに用事か?」

谷口は半分諦めたように苦笑いで理由を話してくれたが、三浦は収まりのつかないいら立ちが顔に出ていた。

先生からの呼び出しと聞けば、なんとなく三浦のイライラがわかる気がして僕も苦笑うしかなかった。

「医務室に薬を取りに行くところなんだけど・・・大変だね。三浦、その手の傷に塗る薬も貰ってこようか?」

「いいって。こんなのはどうってことねぇよ。それより渡瀬の方がもっと大変だぜ」

「渡瀬も呼び出されてるの?」

「渡瀬はしょっちゅうだよ。謹慎中はほとんど渡瀬が中心で花の世話をしていたから、用具ひとつ準備するのにも呼び出しだよ、なぁ」

谷口は気の毒そうに言いながら、三浦の肩を二、三度ポンポンと叩いた。

それがなぐさめになったのか、三浦も諦めたように笑みを浮べた。

「先生の呼び出しは一方的らしいからね。・・・あれっ?三浦も谷口も名札は?まさか返して貰ってないの」

別れ際、三浦も谷口も名札をしていないのに気が付いた。

「まさか・・・でも有り得ると思うだろ。実際そうなりかけたんだから」

谷口がカッターシャツの襟元に手を突っ込んで、オレンジ色の紐を引っ張り出した。


―花に引っ掛かるんだ―


そう言って、エプロンから名札を引っ張り出す先生のしぐさと全く同じに。


「三浦も谷口も、随分花の世話が板についたね」

「好きでやってんじゃねぇや、なぁ谷口」

「そのわりには三浦のカットは丁寧だって褒められるんだぜ。渡瀬でも褒められたことないのに」

好きじゃなくても優しさは全てに共通するのかも知れない。

三浦の傷だらけの手はバラの痛みを分かちあっているようにさえ思えた。

「ごめんね、少しでも疑うような言い方をして・・・」

三浦の照れた顔が可笑しくて、谷口と笑った。

「谷口、よけいなこと言うなよ、ったく・・・。聡、早く行かないと川上帰っちまうぞ」

じゃあな!手を振る三浦と谷口。その後ろの折れたバラの花。

まるで誰かに手折られたように・・・。




『童(わらべ)はみたり 野なかの薔薇

清らに咲ける その色愛(め)でつ

飽かずながむ 紅(くれない)におう 野なかの薔薇』



誰の詩だったか、口をついて出るメロディと歌詞。



『手折(たお)りて往(ゆ)かん 野なかの薔薇

手折らば手折れ 思出ぐさに

君を刺さん 紅におう 野なかの薔薇』



ゲーテの野バラ≠セ・・・・・・。



『童は折りぬ 野なかの薔薇

折られてあわれ 清らの色香(いろか)

永久(とわ)にあせぬ 紅(くれない)におう 野なかの薔薇』


※ 詩 ゲーテ 野バラ
※ 曲 ウェルナー
※ 日本語歌詞『』部分 近藤 朔風(こんどう さくふう)







「食事はきちんと食べてる?」

「はい」

「体の調子は?」

「すこぶる、いいです」

高等部医務室。川上先生の問診を受けながら、いつも通り薬を受け取る。

それから診察に入るのだが、隣のカーテンが閉まっていて誰か他の生徒(患者)が居るようだった。

「今日は、診察はいいよ。その代わり調子が悪くなったらすぐ来るんだよ」

「はい。遅くなってすみませんでした」

「遅いから診察をしないんじゃないよ。君の顔を見ればわかる。いい笑顔だ」


―いい笑顔・・・―


そう言う先生も、とても嬉しそうに自分の事のように喜んでくれているのが伝わって来る笑顔だった。


「いい笑顔は伝染するんだよ。マスクはまだ外さないようにね」

最後にひと言注意を付け加えると、川上先生は席を立ってカーテンの奥へ入って行った。




―桜舞い散るその中で、僕を見送る本条先生がいた。

両親が迎えに来た車に乗る間際、僕は振り返って先生に訊ねた。

「先生、僕は帰って来れる?」

「その答えは君自身が一番良く知っているだろう」

先生の自信に満ちたその笑顔に、僕もつられて笑顔を返した。

つられた笑顔には、僕の埋もれていた勇気も一緒に―







医務室に行くのは遅れたけれど、診察がなかった分早く済んでぽっかり空いてしまった時間。

センターのロビーに飾られたバラの花に、さっきの折られた野バラのことが気になった。

先生はどう思っているのだろう。そしてたぶん渡瀬も一緒だろうと思うと、自然に足が花屋の方に向いた。

花の世話の時は、宿舎よりも花屋の奥の部屋に居ることの方が多い。

裏側から入る。


「聡・・・」

花屋の奥の部屋。打ちっぱなしのコンクリートの床にテーブルと椅子。

壁面は両サイドを囲むように一面のガラスケース。中にはたくさんの花々が活けられている。

「相変わらず先生やりっ放しだね。僕も手伝おうか」

「いいよ、座ってろ。・・・聡も呼び出されたのか?」

渡瀬が花束を作り終えたらしい残骸の後片付けをしていた。

「いや違うよ。薬を貰いに行く途中で三浦たちに会って、ちょっと気になったから」

「折られたバラのことだろ。これ以上用事を増やさないでくれって感じだ」

それでなくても勉強の遅れを取り戻すので必死なのにと、渡瀬はイライラを隠そうともせず言った。

「先生もやっぱり悪戯って思っているのかな」

「悪戯しかないだろ。・・・先生は何も言わないけどね。いつものことだ」

「先生は?」

「花束担いで外出さ。提携している幼稚園の春の運動会に使うんだとか、そこのPTAに頼まれたとか・・・」

渡瀬が片付ける傍で、テーブルに残っている花を利用して小さな花束を作って行く。

「器用だな、聡は」

「自分に出来る事をしているだけさ。渡瀬は・・・良かったね、名札がちゃんと戻って来て」

「三浦たちから聞いたのか」

渡瀬の胸元に下がる名札。オレンジ色の名札紐が三年生の印。


―名札紐の色には、僕には僕の彼らには彼らの証がある―


笑って首を横に振る僕に、渡瀬は自分の名札を掴(つか)み上げて言った。


「聡、これどこにあったと思う?」



あの謹慎が解けた夕方、渡瀬たちはいったん流苛を連れてそれぞれの自室に戻った。

夜、食堂に先生が居るのを見計らって、渡瀬が名札の返却を求めに行った。

案の定・・・。


―名札?あっ・・・―

―・・・・・・・・―

―取ってくる。ちょっと待っていてくれるかい―


「何分待たされたと思う?」


―おかしいな、誰かさわったのかな・・・。無いんだ―


「1時間も待たされたあげく、しかも帰る前日になって無いだなんて、信じられるか?」


―・・・誰がさわるんですか?どの辺りに仕舞われたのですか、三浦と谷口も呼んで来てその部屋を探します。
大事なものですから・・・取り上げられるほど―

―そうだね、明日から困るよね―


「他人事みたいに・・・。だいたい何でも使ったらその辺に出しっ放しだし。
片付けるとあれはどこにある?とか、何回メールで呼び出されたか・・・」

几帳面な渡瀬からすると、先生はかなりだらしなく映るようだった。

「三浦と谷口を呼んだら流苛もついて来て・・・」


―何探してるの?―

―大事なものだ。みんなで手分けして探すから、流苛は邪魔しないようにそこで本でも読んでろ―

―僕も探してあげる!―

―流苛はいいから!・・・先生、このスタディルームのどこかですね―

―うん・・・確か脇机の一番上の引き出しに仕舞っておいたと思ったんだけど―

―ねぇ、何?何探してるの?僕も!―

―うるさい!流苛!―

―渡瀬たちの名札だよ、オレンジ色の名札紐の。流苛は知らないかい―

―先生、こんな時に流苛の相手は止(よ)して下さい―

―知ってるよ。僕知ってるもん―


「宿舎の玄関の、初代校長の銅像に掛けてあった」

「どうしてそんなところに・・・」


―どうしてそんなところに・・・―

―僕が掛けておいたの―


「勝手に引き出しのものをさわった流苛を、三浦が叱ったら・・・」


―引き出しになんか、なかったもん。
先生の絵の部屋の机の上にずっと置いてあったから、絵の具で汚れると思ったの―

―流苛、アトリエに入ったのかい。あそこは遊ぶところじゃないからダメだって言ったろ―

―・・・先生、スタディルームの脇机の引き出しじゃなかったんですか―


「そこに仕舞おうと思っていたらしいよ。置きっ放しにしていたのを流苛が見つけて、ふざけて銅像に掛けたんだ」


―こんなところにあったなんてね。灯台下暗しってこのことだね―


「のん気に笑っていたのは先生と流苛だけだ」

笑い話になるにはまだあと10年くらい先の話だぞと、渡瀬は真面目な顔で僕に言った。



散々に散らかっていた花束作りの残骸も綺麗に片付き、僕の作った花束は表の花屋のバケツに差し込んでおいた。

渡瀬がそのうちのひとつを手に取って訊いて来た。

「ポピー・・・そう言えば流苛の花籠がポピーだったけど、聡は花言葉知ってるか?」

「知ってるよ。安寧・・・安らぎだね。渡瀬は知ってた?」


渡瀬はそれには答えず、ポピーの香を嗅ぐ仕草でゆっくり瞼を伏せた。



先生はひとりひとりの心の内を見ているように

あるべき未来の姿を願うように

流苛のポピー 僕のリンドウ

それぞれの花に思いを託して・・・



「そう言えば、渡瀬は先生から何の花を貰ったの?僕はリンドウ・・・・・」

ガラガラガラ・・・カシャン。

慌しく閉まる表のシャッターの音。

急に渡瀬がバタバタと帰る準備を始めた。

「もう帰るぞ。何時なんだよ、いつまでもこんなこと。大学受験も控えているって言うのに・・・」

「渡瀬が先生から貰った花・・・渡瀬?」

気のせいか渡瀬は僕の話を避けているようだった。

「聡、俺は忙しいんだ。そんなことは忘れた」

先生が絡むと渡瀬の顔が険(けわ)しくなる。


気のせいなんかではなく、渡瀬ははっきり僕の話を避けた。







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